ttp://human7.2ch.net/test/read.cgi/wmotenai/1204169555/l50
8 :彼氏いない歴774年:2008/02/28(木) 23:22:43 ID:gf4GKwD/
ちょっとだけならある。
去年の11月頃、私が傘をさして
バイト先に向かってる途中おばあちゃんが雨宿りしていた。
職場まであと5分くらいだったのでおばあちゃんに傘を渡すと
おばあちゃんは申し訳なさそうにありがたそうに受け取った。
私の傘を持ったおばあちゃんは嬉そうでその笑顔が凄く可愛らしくて
私は良い事したなぁって良い気分でその場を離れた。
バイトの帰り道、今朝そのおばあちゃんが
雨宿りをしていた場所を通ると傘が広げて置いてあった。
私は「えっ?なんで?迷惑だったのかな」とプチショックで傘を
持ち上げると子猫よりはちょっと大きいくらいの猫が二匹傘の下にいた。
風避けに使ってたみたい。
猫の下には肌色のハンドタオルがひいてある。
たぶん予想だけどその後お婆さんがびしょ濡れの猫を
拭いて傘をあげたのかなぁって思った。
そう思うとお婆さんの優しさが傘を通して伝わって来て
2度暖かい気持ちになった。
11 :彼氏いない歴774年:2008/02/28(木) 23:39:50 ID:SGWlQn6s
ネコだったんだよばーちゃん。
人間から傘借りる事が元の姿に戻る条件だったんだよ。
9 :彼氏いない歴774年:2008/02/28(木) 23:32:36 ID:X7w3xrDE
高校の頃、バスの乗降時に座席からぼけっと窓の外を見ていたら
対向車線にバスがノロノロと止まった。
何気なくバスを見ると、向いの窓からおじいさんが
私に向かってピースしている。
私は無表情でグーを出した。勝った。
するとおじいさんはパーを出してバイバイしてくれた。
私はチョキを出したかったけどそのままバスは走り出してしまった。
なんとなく心が和んだ、ちょっとした話。
13 :彼氏いない歴774年:2008/02/29(金) 00:07:21 ID:reczYWG7
良スレの予感!!!
ケーキ試食販売のバイトをし始めたときの話。
基本的な売り方のコツがよくわからないのもあって
ずっとケーキが売れ残っていた。
スーパーの担当の人には
「○時までに200個売らなきゃいけないこと位わかるよね!」と
1時間おきに言われて、相当気が滅入っていた。
自分に出来る事は声を出して、なるべくお客さんに
声をかけることしか分からなくて色んなお客さんに声をかけては
無視されの繰り返しを延々とやっていた。
そんな時、あるおばさんが声をかけてきてくれた。
「いくつか貰おうかしら」
「あ、ありがとうございます!!!」
その日初めてのお客さんで、凄く嬉しかった。
すると、おばさんは、後ろを向いて
「お父さんは何にするの〜?」
後ろにいる旦那さんにどのケーキがいいか聞いているのだけど
旦那さんは奥さんの側には寄らず無愛想に首を振って
「どれでもいい」と言っている。
「ごめんなさいね、あの人甘いのが苦手なのよ」
「そうなんですか?」
「でもね、あなたの頑張ってる姿をみて、
娘を思い出してこのケーキを買うってきかないのよ。」
お客さんにケーキを詰めた後、自分は倉庫に行って泣いてしまった。
娘さんは幸せものだなって
自分は母子家庭なのもあって、家族っていいなって思えた
そして今でもこの事を思い出すと元気が出る。
27 :彼氏いない歴774年:2008/02/29(金) 13:40:18 ID:Js8Vnj+H
ユニセックスの服屋で働いてるんだけど、
去年のクリスマス前に男性のお客さんが来た
接客をしていくと彼はクリスマスに好きな女の子に告白したいから
カッコイイ服を選んで欲しいとの注文だった
好きな女の子のタイプも聞いて2時間程一緒に悩んだ
クリスマス当日、男性のお客さんは女の子と一緒に来店
告白をOKしてもらえたって嬉しそうに話すから私もすごく嬉しくなった
男の子は私が協力したお陰だってお礼にクリスマスプレゼントと言って
二人で選んだクマのシャーペンをくれた
すごく嬉しかった
今でもカップルで来店してくれてます
末永くお幸せに…
シャーペンよりボールペンがよかったな
30 :彼氏いない歴774年:2008/02/29(金) 21:33:24 ID:K4rZOnHu
>>27
コラコラw
31 :彼氏いない歴774年:2008/03/01(土) 01:57:37 ID:3hm2WCMQ
バスでおばあちゃんが乗ってきたので席を譲ろうとしたら
一緒に乗ってた友人が先におばあちゃんに席を譲った
私一人で座ってるのも悪いので友人に席を譲ろうとしたら
「いいよ!座ってて」と言われた。
座ってる分友人の荷物だけでも持とうとしたら「いいよいいよ」と
断られて「なんか悪いよ」と言ったら友人は少し悩んで
「良い事考えた!こうしたら平等だよね」
と私の膝の上に座った
バスの中では乗客が仲良しだねってクスクス笑ってた
おばあちゃんはありがとうって優しい顔してた
友人は少しお馬鹿だけどかなり良い奴
友達になれて良かった
39 :彼氏いない歴774年:2008/03/02(日) 00:02:45 ID:R3JYms6m
携帯から失礼。
小学生の時から頭デカいやら顔デカいやらでpgrされていたんだが
ある日の休み時間に友人同士で雑談していると、DQNな男子が来て
「喪女さんって本当に頭大きいよねwww」と、pgrされて凹んでいたら
隣に居たいつもふざけあって遊んでた男子に頭をポンポンとされて
「喪女は髪の毛が多いからそうやって見えるだけだよね」
とフォローしてくれて泣きそうになった思い出が…。
43 :彼氏いない歴774年:2008/03/02(日) 00:22:29 ID:vUUnnvyu
初めに書いておく。
長文ごめん。
小学5年生の時、私は学級委員をしていた。
学級委員は各クラスから男子1人女子1人の2人。
当然私にも相方がいて、今だから言えるが
私はその子のことが好きだった。
その子は頭良くて運動もできたんだけど、
クールタイプだったからか(いや原因はよく分からんが)
女の子よりも男の子に人気があった。
ある日、校外授業でどこかの工場に見学に行くことになった。
バスの座席は特に決まってなくて、皆自由に仲の良い子と一緒に座った。
一番後ろのだけど学級委員だけは一番前の運転手の後ろの席、って決まって
いて、その後ろの席は私の友達(女の子2人)が「話そうねー」と言って座った。
つまりバスの右側の前の列は
通 相方 私
路 友達 友達
↑みたいな並びになった。
私は好きな子の隣で嬉しかったけど、
相方は女の子ばっかりで可哀相だと思った。
すると、一番後ろの5人掛けの席を占領した男の子グループが、
「○○!こっち来なよ!つめれば6人座れる!」
と相方に声をかけた。
相方が少し困ったような顔をして私を見てくる。
行きたいんだろうな、と思って私は
「いいんじゃない?私は席広く使えて嬉しいし♪」
と笑った。
でもやっぱり隣になれなくて寂しかったから、相方の
答えを聞く前に顔を逸らして窓際の席に座って、相方が座る
筈だった席に自分の荷物を置いた。
視界の端で相方が後ろの席に行くのが分かって
自分で言っておいて少し後悔した。
まだ発車してないバスの窓の景色をぼーっと見てたら、後ろから
「喪女さん、荷物、悪いけど上に上げていい?」
という声がした。
振り向くと、私の荷物を持って立ってる相方がいた。
驚いて
「後ろ、座るんじゃないの?」
と聞いた。
「何で?俺の席、ここ」
短く答えて、それから
「で、荷物、どうしたらいい?」
ともう一回聞いてきた。
慌てて荷物を受け取って、
足元に置くと当然のように私の隣に座ってきた。
嬉しいやらなんやらで混乱しててバスが動き出すまで
会話もしなければ顔も見れなかった。
しばらくして無言でいたら相方が
「隣嫌だった?帰りは後ろに行った方がいい?」
と聞いてきた。私が怒ってると勘違いしたのかもしれない。
そう思った私は天パって
「そんなことない。○○君のこと好きだから、隣で嬉しい」
とつい本音を。
言った後、うわ、自分何言ってんの!?と思って
何とか言い訳しようと考えてた。
だけど相方は
「良かった。俺も喪女さんの隣、ゆっくりできるし、
喪女さん面白いし好きだよ」
と言ってくれた。
いつもはあんまり笑わないのに、笑いながら言ってくれた。
すごくすごく嬉しかったけど、私が相方に対する”好き”と相方が
私に対する”好き”は違う種類だ、となんなく分かってしまった。
「そっか」
って笑えたけど、それから色んな話して楽しかったけど、
ちょっと切なかった。
この校外学習の後すぐに、相方のお母さんが病気で亡くなって、
相方はしばらく学校来なくて、やっと来たと思ったら
「引っ越します」
のご挨拶で。
私は結局、もう一度ちゃんと思いを告げることなく失恋しました。
今でもあの時のこと思い出すと
隣に座ってくれた嬉しさと切なさを思い出します。
忘れられない、私の初恋です。
57 :彼氏いない歴774年:2008/03/02(日) 02:56:02 ID:KwQdaDRJ
学生時代から家を出て就職、25で退職を期に実家へ帰った。
28の夏、転職で再び家を出ることにした。
九州から慣れない高速とフェリーを使い関西へ。
車に積んだ荷物をひとり汗だくになって運びこんだ。
やっと片付いて放心状態で母に落ち着いた旨メール。その返信。
「お疲れ様でした。
今ヤクルト屋さんがきて、昨日娘がいってしまったといって
話してたら、涙が、止らくなくなって、恥ずかしかったよ」
号泣した。
みそっかすな娘でも寂しがってくれたんだね。ありがとう。
地元で孫の顔見せてあげられなくてごめん。
親不孝ばっかでごめん。
行事のたんびに帰省するからお金貯まらないけど、
せめてもの孝行と思ってる。脱喪が一番だろうけどね…
64 :彼氏いない歴774年:2008/03/02(日) 11:57:07 ID:LlMbZQ22
良い話かどうかは微妙でさらに長文ですみませんが…
我が家は昔から家族仲が良いとは言えず、特に母親と私は
いつもぶつかり合い、喧嘩ばかりでした。
成長と共に母親との仲も悪化、家族が止めるのも無視して
高校卒業と共に実家を飛び出しました。
誰も私を知らない、知り合いも居ない街に来て四年が経った頃、
仕事も私生活も上手く行かず、ふと
「私と同年代の子達は、既に結婚してたり、良い仕事に就いていたり、
信頼できる友達家族が居て幸福そう。
大切なもの築き上げたもの、沢山ある。」
「それに比べ私は、友達すら居ない。学も無い。
大切なもの、築き上げたもの。何も無い。空っぽだ。
今まで馬鹿ばかりやって、何をしてたんだろう。
何の為に生きてきたんだろう。」
「家族に迷惑と負担をかけただけではないか。
私が居なければ家族は母親は幸福だっただろう。
これからは?今更何を?もう死にたい。」
と考え精神を病んでしまい、泣きながら母親に電話をしました。
他にぶつける場所が無かったのです。
母親にその事を泣きながら話しました。
久しぶりに話す母親は何も言わず聞いてくれた後、
泣きながら私を叱りました。
「あなたは馬鹿なんかじゃ無い。
今あなたに生きて来た意味、生きていく意味が
無いならあなたを生んだ私は?
私はあなたを生んで後悔はした事は無い。
毎日あなたを想って愛情かけて育てたつもりだ。」
「何も無くなんか無い。私達家族が居るじゃない。
何があっても私だけはあなたの味方だから。
大切なものはこれからいくらでも築いていける。
あなたが生きていないと私も生きていく意味が無い。」
と。
母親は
「いつでも帰っておいで。部屋はそのままにしてあるから。」
と言ってくれました。
こないだ久しぶりに連休をもらい帰省をしたら、母親の部屋に
私と兄の小さい頃の写真と、昔母宛に書いた私の手紙が飾って
ありました。
写真や手紙は既に日焼けをしていて、胸が痛くなりました。
現在は資格試験に向けて勉強中です。合格して笑顔で実家に
戻れるよう頑張ります。
71 :彼氏いない歴774年:2008/03/02(日) 14:00:22 ID:G9weTknu
良い話というよりは嬉しかった話だけど…スマソ
私の誕生日に友達がおでかけしようって誘ってくれた
車で迎えに来てくれて乗り込んだら車内には
大量の色とりどりの風船があってすごく驚いた
嬉しすぎて風船を家に持ち帰って、家の中に散りばめて
眺めていたらひとつだけ色の違う風船があった。
その風船の中を見ると可愛いネックレスが入ってた
かなり泣いた
友達もネックレスも思い出もずっと大事にする
72 :彼氏いない歴774年:2008/03/02(日) 14:13:28 ID:TbO4kDSA
私の中学は2年になる時だけクラス替えがあったんだけど
そのクラスに馴染めなかった。
不良が多いクラスで、
よく消しゴムやボールを投げつけられたり、pgrされていた。
今までそんな仕打ちを受けたことが無かった。
怖くて辛くて、学校をよく休んだ。
母親には
「何でやり返せないの?私がいじめられた時はやり返したのに」
「何でその位で学校休むの?私は外で頑張って働いてるのに」
と言われる日々。
担任は何かしてくれるわけじゃない。
辛かったけど、内申の為にも学校に行くしかなかった。
それからは保健室登校したり、遅刻・早退・欠席を繰り返していた。
そうしたら、廊下で学年主任のA先生に声を掛けられるようになった。
A先生は50歳位の女の先生。声が低くて、男みたいな先生だった。
「よく来たね」
「今日は朝から来たんだね」
って笑顔で私の肩をポンと叩いてくれた。
そしてよく
「いいか喪女山、休む時は上手に休みなさい」
と言ってくれた。
自分にとってそれは凄くありがたかった。
3年の3学期は適応教室でお世話になった。
卒業式に出席しない子もいたんだけど、「一生に一度きりだもんなあ」と
思って私は出席した。
その後の離任式で、A先生が転任することが分かった。
ああ本当にお別れなんだ、と思ったら涙が止まらなかった。
式が終わり、昇降口から校門まで沢山の先生が見送る中を通った。
一番校門に近い所にA先生がいた。
「おお、喪女山」
とA先生は私に気がついて、強く私の腕を引っ張って抱き寄せた。
「喪女山。私はね、あんたがステージの上で
卒業証書を受け取ったことが、今とっても嬉しいんだよ」
A先生はそう言って私を抱き寄せて、背中をポンポンと叩いてくれた。
A先生には感謝の気持ちでいっぱい。
あの時一番行きたかった高校に通えています。ついに今年受験生。
長々とごめんなさい。
88 :彼氏いない歴774年:2008/03/03(月) 23:22:05 ID:ql3+Zwmr
すみません、長いです;
私にはいとこが10人いて、親戚で集まると大変なことになり
祖母や祖父はまるで他人のような感じだった。
おばあちゃん、のイメージのような親近感はなかった。
私が受験生で、いろいれ根詰めていたある日、父から
受話器を渡された。祖父宅に電話しろという。
私がいぶかしんでいると、横から母が紙を差し出してきた。
200万円の学資保険だった。
私は震えながら電話をかけた。
「あぁ、喪女子かい。
勉強、頑張ってるみたいだね。お父さんからよく聞いているよ。
しかし何よりも体を大事にしなさいよ。お前は大事な私の孫なんだから」
しわがれた、温かい声が耳のそばで聞こえて、血のつながりを実感した。
今までで一番泣けた。
95 名前: 彼氏いない歴774年 [age] 投稿日: 2008/03/04(火) 01:14:29 ID:Oxo8oSYJ
>>43を投稿したものですが、感動してくれた方が多くて嬉しかったです。
あんなに長文で、文章の消し忘れや誤字が酷い文章なのに皆さん最後まで
読んでくれて、しかも温かいお言葉まで・・・!
少しでも皆さんの心に残ったのであれば、それほど嬉しいことはありません。
ちゃんと思いを告げられくて心に突っかかっていたあの恋も、無駄では
なかったと、して良かったと、そう思えます。
ありがとうございます。
さて、これだけではすれ違いなので・・・
>>83さんで受験の話が出たので便乗させていただきます。
私の人生で数少ないちょっといい話、お付き合いいただければ幸いです。
そしてまた長文になると思います。
短い文章でまとめられる方が多くて本当に尊敬します・・・
私の浪人が決まったとき、私は母に土下座しました。
私の両親は兄と私が小さい頃から共働きです。
父は普段の家賃水道代ガス代その他を出し、
母は私と兄の教育費と食費を担当していました。
なので当然、私の受験費用も母が出してくれていました。
母は何も言いませんでしたがその年に受ける最後の願書を出した日に、
私はこっそり受験にかかった費用を計算したのです。
出てきた金額は、母の一ヶ月の給料と同じくらい。
浪人したら、きっと予備校にいくことになる。
予備校にいったら、多分その費用も母が出す・・・。
母の給料はけして高額ではありませんでしたが、それでも
家事もしつつ仕事をして母が稼いだ大切なお金。
二つ年上の兄が私立の高校に行った&大学進学した時
「貯金ほとんどなくなっちゃった」と苦笑していた母。
母にこれ以上金銭的負担をかけちゃいけないと思った私は
勉強時間を何時間も増やして勉強しましたが、結果は不合格。
夜、「疲れたー」と言いながら帰ってきた母に、
落ちた、と報告するのがたまらなく情けなくて、顔も合わせられず、
私はただ泣きながら土下座をして「ごめんなさい、ごめんんさい」
と繰り返しました。
こんな状況ですから、直接言葉にしなくても母も
私が落ちたことを悟ったようで、短く「そう・・・」と言って
黙ってしまいました。
しかし数分もしない内に、母は私の前にしゃがみ、
両側から私の頭を掴み、強引に私の顔を上げさせました。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの私の顔が、
怒っている母の顔と向かい合いました。
ごめんなさい、ともう何度目かも分からない謝罪の言葉を言うと、
母の顔がもっと怒った顔になりました。
怒られる、よりもやはり自分が情けなくて私は
もう一度頭を下げようとしました。
しかし母の両手はそれを許してくれませんでした。
「喪女」と母が静かな声で私を呼び、
続けて先ほどと同じ声色で
「喪女、あなたが私の娘なら顔を上げなさい」
と私の顔を掴んでいた手を離しました。
何も考えることができなかった私は、
『ただ母が言ったから』という理由だけで顔を伏せようと
しなかっただかでしたが、私が顔を上げたままでいるのを見た母は
笑いました。
だけど私は全然笑えなくて、どうして母が笑えるのかも分からなくて、
それでも母の笑顔で少し安心してしまったのがなんだか申し訳なくて
私は涙を止めることができませんでした。
母は笑ったまま、
「あのね、喪女がもし今私やお父さんに申し訳ないと
思って泣いてるんだったら今すぐ泣き止むべきよ。
喪女が挑戦したいと思ったことを、私達が手伝ってあげるのは
当然でしょう?だって私達は喪女のお父さんとお母さんなんだもの。
喪女が何かに挑戦したいなら、どんなことだって、何回だって、
手伝って上げる覚悟をね、喪女を生む前に決めたんだから。
だけどもしね、喪女が自分を情けないと思うんだったら、
だから泣いてるんだったら、謝らなくていいけどたくさん泣きなさい。
次は失敗しないように、今沢山後悔して、反省して、泣いて、
疲れて眠って朝起きたら頑張ればいいの」
と、小さい子供に言うように、ゆっくりゆっくり言いました。
母の言葉を聞いて、私はやっぱり涙を止めることはできませんでした。
母は私が泣き止むまでずっと傍にいてくれました。
その日の晩御飯は、私の大好きなおかずばっかりで
自室に帰ってから私はもう一回泣きました。
次の年、私は本命の大学に受かることができました。
お母さん、本当にありがとう。
97 :彼氏いない歴774年:2008/03/04(火) 01:29:23 ID:zITSup0l
小学5、6年と先生が一緒なんだけど、
私はすごく扱いにくい問題児でした。
とにかく先生に反発してしまう、最悪な児童でした。
先生は気が強くて、私をなんとか理解しようとしたり
放課後よく呼び出されて怒られたり何時間も話し合ったりしました。
親にもよく電話があったそうです。
卒業式の日、私は高熱で休まざるを得なくなりました。
後日、私と担任の先生と校長、教頭、親だけで
ちんまりと1人卒業式をしました。
↓続きます
98 :97 その2:2008/03/04(火) 01:39:14 ID:zITSup0l
そのとき、先生が声をあげて泣き始めました。
それにつられるように親も。
私はなんだか恥ずかしくて下を向いてこらえました。
あの強い先生でもさすがに卒業式となると泣くのか、
みんなの当日は泣きじゃくったんだろうな、と思いました。
春休みに入り、同じクラスだった友達と遊んでいるとき
1人卒業式のことを話し、本番では先生がどれくらい泣いたかを
聞きました。すると友達は
「え?先生泣いたの?本番でも全然泣かなかったよ」。
先生、ごめんなさい。本当にありがとう。
もう10年たちますが、今でも忘れてません。
長文失礼
106 :彼氏いない歴774年:2008/03/04(火) 08:08:04 ID:Ii0/+rQp
私は卒論の関係で立ち会えなかったけど、大好きだった
おばあちゃんの最後のことばは
「喪女、まだけんちん汁あるよ…」
だったそうだ。
転んで足を悪くする→寝たきり→痴呆、で、
亡くなる前の一年はもう家族の顔も覚えてなかったのに。
お通夜の前日、おばあちゃんの風呂敷を開くと
私が幼稚園のとき敬老の日にあげたはがきが出てきて、
「おばあちゃんのけんちんじるがだいすきだよ。
いつまでもながいきしてね もじょ」
って書いてあって、ああこれだったんだ…と思うと涙が止まらなかった。
120 :彼氏いない歴774年:2008/03/04(火) 20:41:17 ID:TaPEqXtP
高校の時いじられキャラで冗談だったのかもしれないけど
かなりきついことも言われてた。
ある日いつものように私がいじられてて笑ってたけど
内心泣きそうになってたら一人の子が唐突に自分のうちの
猫の話を始めた。
彼女は滅茶苦茶かわいくて性格はクールでマイペースな感じの子で
自分から話をふることが少なかったからみんな彼女の話に聞き入って
私いじりは即終了。
その後彼女に
「○○はあんまり我慢しないほうがいーと思うー」
みたいなことをぼそっと言われた。
普段全く人に干渉するような子じゃなかったらびっくりしてたら
「見当はずれかもしんないけどーそう見えただけ。」
って笑ってどっかいっちゃった。
彼女からしてみれば何でもない一言だったのかもしれないけど
私はこの一言ですごく救われた。無関心に見えるけど人の感情に
すごく敏感な子だったなー。
彼女には他にもさりげなくフォローとかしてもらったことが何回もあった。
可愛いのに男前で今でも憧れてる。
129 :彼氏いない歴774年:2008/03/04(火) 22:12:24 ID:xEsaEnRo
昔高校受験が間近に迫っていたとき、私は
緊張やら不安でおかしくなってた。
掌に人と三回書くと緊張しないっていうのを
ちょっと信じて、書いてみたりしてたんだ。
だけど全く効かなくて。
そんな私を見かねてか、幼なじみは私の手をそっと取って…
「よけい身構えんじゃん、そんなの。
人は二回、それを下の開いた四角で囲んで…」
手に出来上がったのは「肉」の文字。
ばかばかしくておかしくて、緊張なんかいつの間にか吹っ飛んでた。
自分だってまだ進路決まってなかったのに、そうやって
気を紛らわせてくれたのがすごく嬉しかった。
いつもは憎まれ口ばっかり叩いてたのに。
なんだか男の子の頼りがいのある所を見せられた気がした。
春になって、お互い学校は違うものの、無事両方
第一志望に合格できました。
今でもあのおまじないは、私の宝物です。
143 :彼氏いない歴774年:2008/03/06(木) 00:36:38 ID:yCzB26yt
いい話かは微妙ですが、人生の転機となったこと
高校時代、クラスに馴染めず共働きなのをいいことに
定時に登校→途中でUターンしてズル休みを繰り返してた
2年のある日、いつものように休んでダラダラしてると
勤めに出たはずの母が突然自室のドアを開けた
なんと親戚のおじさんが自殺、通夜があるので帰ってきたとのこと
バレて狼狽する私に
「あんたがそういう生き方するなら何も言わないけどね」
と一言だけ残しドアを閉めた母
お葬式で数カ月前には笑ってたおじさんの冷たい亡きがら、
それに取り縋り泣き叫ぶ奥様と幼い子供達
余りにも身近で起こった「死」に強烈なショックを受けた
おじさんは飲食店を立ち上げ一生懸命働いていた
だが拡大移転後の売上不振と胃癌を苦に衝動的に命を絶ったらしい
懸命に生きてる人にさえ、辛く厳しい現実に襲われる…
自分はなんて甘ったれてるんだろうと涙が止まらなかった
その後3年でクラスにも恵まれ、必死で勉強して
希望校に進学→就職→喪ながら元気に生きてます
残された子供達もおばさんが女手一つで育て上げ
正月には皆で楽しく飲みました
無駄に長文で失礼しました(___)
200 :1/3:2008/03/08(土) 20:05:18 ID:uj54/sxC
高校三年生の時、大学受験で第一希望のところが失敗してしまった。
その第一希望のところは担任や進路の先生に
無理と言われていたけど、どうしても行きたかった。
部活の先生にそのことを相談すると
「本当にそこに行きたいのなら
先生はお前のことを助ける。勉強いくらでも教えてやる」
と言ってくださった。
その言葉に励まされ私は受験日まで必死に勉強した。
先生は本当に色々勉強を教えてくれ、夜遅くまで私に
付き添ってくださった。
何度も
「あきらめるな。格好わるくても最後まであきらめるな」
と私を励ましてくださった。
202 :2/3:2008/03/08(土) 20:06:22 ID:uj54/sxC
受験の前日は、
「自分が一番できると自信をもって臨め。
お前は今まで頑張ってきたから自信をもて」
と言いながら私の手を力強く握ってくださった。
結果は落ちてしまった。
先生に落ちてしまったことを伝えると、先生は口を開き
「自分を責めるな。お前はまだ18だ。これからなんだ。
おまえならまだ頑張れる。だから自分を責めるな」
と言ってくださった。
私は落ちたと知ってから
ずっと自分を責めていたので、本当に先生の言葉に救われた。
先生の言葉でまた頑張ろうと気持ちがわき、
なんとか第二希望のところには合格できた。
203 :3/3:2008/03/08(土) 20:07:14 ID:uj54/sxC
合格したことを伝えにいくと、
顔をあわせると私はぼろぼろと泣いてしまった。
先生も泣きながら
「おめでとう。頑張ったかいがあったな。
これからさらに辛いことがあるかもしれないが、お前なら頑張れる。
お前は心が誰よりも強い子だと俺はお前を信じてる。本当におめでとう。」
またしても手を力強く握ってくださりながら言ってくださった。
今の私があるのはこの先生のおかげです。
先生、いつか一緒にお酒を飲みましょう。
長文、乱文失礼しました。
連日夜遅くまで一緒にいたのに見事に先生とラブハプニングは
起きませんでしたよ(^ω^)
210 :彼氏いない歴774年:2008/03/09(日) 00:21:30 ID:x6EEmS0A
「こんなどうしようもない親に育てられたのに、
子供がまともに育ってくれて感謝している。今は感謝の日々だ。」
って親に言われた時感動して涙でた。
どうしようもない子供なのに、感謝なんてしてくれてありがとう。
結婚もできず喪女でごめんなさい。。。
212 :彼氏いない歴774年:2008/03/09(日) 01:01:11 ID:Y6FQ241W
一時期、親族の家で肩身の狭い思いをしながら職場に通ってた。
友達は学生で会えないし、会っても仕事の話は通じず新しい友達や
男の話ばかり。職場にも馴染めず、ミスの繰り返し。
喪なら分かるよね…誰にも理解されない孤独と何をやっても報われない
絶望感に鬱々としながら、なんとなく日々をおくる毎日。
そんなある日上役たちに、
「お前はダメだな。何なら出来るんだよ?」
って笑われて凹みながらもヘラヘラ笑ってたら、一人が
「そんなことないさ、喪女は頑張ってるよ」
って言ってくれた。
そうだよ、私これでも頑張ってるんだよ。
ちゃんと毎日積み上げてきたものがあるんだよ。
何気なく言った言葉だろうけど、
ちょっとでも認めてもらえるだけで安心するんだよ。
その時は笑って誤魔化したけど、
後でトイレに駆け込んで大泣きしますた。
215 :彼氏いない歴774年:2008/03/09(日) 21:29:40 ID:39Pf/+oK
ファミレスでバイトしてたとき、いかにも偉そうなオヤジに
レジで延々とネチネチとループし続けるクレームを言われて困っていたら、
レジに近い席に座ってたDQNっぽいオヤジが大声で
「姉ちゃんデザート持ってきて!」
私はDQNと目の前のクレーマーと両方に頭下げながら途方に暮れてたら
「姉ちゃんデザート!早く!何やってるんだよ!」
と、自分と同い年くらいのクレーマーオヤジと睨みあいになった。
でもさすがDQNだけあって睨みあいでは圧勝。クレーマーオヤジは
舌打ちしながら出て行った。
慌ててDQNの席に行ったら
「ん?んーとね…プリンでいいや」
とどうでも良さそうに一言。
そのときに初めてこの人は私を助けてくれたんだってわかった。
あのときはありがとう。
文中でDQN呼ばわりしてごめんなさい。
224 :彼氏いない歴774年:2008/03/10(月) 00:21:47 ID:7mdm2oL1
ティッシュ配りのバイトをしていた時の話。
配布先に行く時はティッシュが入った段ボール箱を
キャリーにベルトで括り付けて持ち運ぶ。
これが傍目から見ると大変に見えるようで、バスの中で
席を譲ってくれるおばさまや、階段の上り下りで
「手伝いましょうか?」と声をかけてくださった。
私の方が若いのに、いずれも30〜50代の女性だった。
バスの中で席を譲られた時は泣きそうになった位嬉しかった。
このスレを開いたら思い出したので、このスレにも感謝。
228 :彼氏いない歴774年:2008/03/12(水) 18:51:51 ID:YughIcdX
なんかすごい長くなってしまった…orz
まとめるのって難しい(><)読み流してくれていいんで。
私は高校2年の秋ぐらいから、
無視されたり笑われたりして、かるくイジメられてた。
そのまま卒業し、東京の大学に来て(地元は関西)、友達を
つくろうと思ったんだけど、また嫌われたりしたら・・・と思うと
怖くて表面的な付き合いしかできなかった。
でもサークルの1つ上の先輩(女)がなぜかすごく私をかわいがってくれて、
よく話しかけてくれたり、嫌われたくなくてなんでも引き受けてしまう私に、
「○○ちゃんが断れないからって、仕事押し付けるとかホント腹立つ(# ゚Д゚)」
と怒ってくれたりした。
私のことで怒ってくれる友達なんていなかったから、すごく嬉しかった。
先輩が気にかけてくれたこともあって、サークルの他の人たちとも仲良くなれ、
嫌なことは嫌だと言えるようにもなった。
大学生活はすごく楽しくなった。
でもホントにたまに高校時代の夢をみることがあった。
夢なので、サークルになぜか高校のクラスメイトがいていじめられてたり、
単に昔の再現VTRみたいだったりと、シチュエーションはバラバラなんだけど、
いじめられることは変わらなくて、その夢を見た日はいつも起きたら泣いていた。
だけど、今日見た夢は違ってた。
いじめられることは同じなんだけど、いきなりそのサークルの
先輩が出てきて、私のことをかばってくれた。
そしたら他の友達もどんどん出てきて私のことを守ってくれた。
なぜか平井堅も私を守ってくれた。(別にファンでもなんでもないんだが)
ってトコで目が覚めて、なんだかすごく嬉しくてやっぱり泣いてしまった。
なんか、今日やっといじめられてた頃のことを過去にできた気がする。
先輩に出会ってなかったら、今でも上っ面だけの薄っぺらい関係しか
つくれなかっただろうなぁっと思う。
心から先輩に感謝です。
先輩はもうすぐ卒業してしまうけど、私はこれから、
先輩みたいな人になれるよう頑張ります(`・ω・´)
・・・夢オチでスマソ。
231 :彼氏いない歴774年:2008/03/12(水) 19:49:41 ID:+IwLEYob
ごめん平井堅で腹筋がよじれた
232 :彼氏いない歴774年:2008/03/12(水) 19:52:38 ID:s9xJSnZ6
よかったよ228
平井堅も最高
233 :彼氏いない歴774年:2008/03/12(水) 20:15:17 ID:hc8oUMX9
ちょww堅さんグッジョブwwww
234 :彼氏いない歴774年:2008/03/12(水) 20:43:58 ID:q9B9paIU
平井堅の人気に嫉妬
237 :彼氏いない歴774年:2008/03/13(木) 01:30:45 ID:H7mtyWPX
携帯からすみません。
私の母は日頃から「頑張れ頑張れ」といった感じな人で
本人も何でも頑張る言わば「頑張り屋」な人なんです。
私が仕事やなんか失敗してへこんで愚痴を漏らしても
「頑張れ!仕事はみんな辛いんだ!」という風にしか言わないので
期待に応えなきゃ。愚痴なんか漏らしちゃダメだ。頑張らなきゃと
毎日必死でした。
そんな仕事仕事とプレッシャーに追われてたある日、ついに精神を
病んでしまい、仕事を辞めなければならない事になってしまいました。
おそるおそる母に病気になったから仕事を辞めなきゃいけなくなった。
情けない娘で迷惑ばかりかけてごめん。楽させてあげれなくて
ごめんなさいと泣きながら告白したら、母はいきなり
「ほら、こっち来てみ」
と背中を向けました。
よくわからなかったけど、母の背中に寄るとおんぶをしてくれました。
「重くなったなぁ…昔はよくこうして散歩に行ったよね」
ってぎゅっとおんぶをしてくれました。
「喪女、もう頑張らなくていいんだよ」
「今後の事は心配するな。だって喪女は私の娘だもの」
「ずっと何があっても守ってあげるから」
「だから泣かないで。私は喪女が大好きだよ」
って言ってくれました。もう涙が止まりません
251 :彼氏いない歴774年:2008/03/16(日) 00:09:09 ID:LfRGYdP3
中3の時、はじめはクラスの中心になってるリア充グループに
いたんだけどある日突然ハブられ、その後はいつも一人でポツンと
してた地味な子と一緒にいた。
掃除のとき、同じ班の人は私たち以外はヤンキーで、
掃除なんてするわけないメンバーだった。
いつも2人だけで掃除してたけど(男子トイレ以外)、
教室掃除だけは2人だけで机を全部運んだりするのが大変だった。
ある時、クラスのお笑い&体育会系グループの子たちが気づいてくれて、
「えー、なんで喪子ちゃんたち2人だけでやってるの?!」
「・・ああ、他の面子はアイツらか、掃除するわけねえな」
「よし、ウチらも手伝うよ!」
って言って手伝ってくれた。
「いいよ! 私たちのこと手伝ったりしたら
みんなまでハブられちゃうよ・・・」
と言う私に、
「何言ってんの〜!大丈夫だよ!」
「みんなでやればあっと言う間だって!」
ありがたくて嬉しくて、でもなんだか申し訳なくて、
「あ、ありがとっ」
と涙が止まらない私たちを彼女達はびっくりしつつも
「ちょ!どうしたの!ほら笑ってよ〜」と
モノマネとかして笑わせてくれました。
彼女達はその後も教室掃除を手伝ってくれました。
その時のことが今でも嬉しくてありがたくて。
なかなか行動にするのは難しいけど、同じように困ってる人がいたら
彼女達のようにさりげなく手伝ってあげることができるように
なりたいな、って思う。
257 :彼氏いない歴774年:2008/03/16(日) 11:50:59 ID:FwDJkce1
介護士として働きだしてまだ日も浅いんだけど
失敗の連続続きで正直向いてないんじゃないかと思ってた。
先日、担当のおばあちゃん達にいつもありがとうねぇって言われた。
普段ありがとうなんて言われること少ないので
すごく嬉しくて後で泣いてしまった。
まだまだ頑張れそうです。ありがとうおばあちゃん達
262 :彼氏いない歴774年:2008/03/21(金) 08:52:36 ID:ckArMomN
結局四年間の大学生活でも彼氏などできなかった。
想像していた大学生にはなれなかった。
少々やさぐれた気持ちで出席したサークルの追い出しコンパ。
しかし、貰った色紙に不覚にも涙腺が緩んでしまった。
「先輩がいるだけで部室が明るくなりました!」
「部室の連絡帳にいつも面白い事書いてましたよね(笑)」
「明るく楽しい先輩にいつも元気を貰いました!」
「先輩はサークル1の美脚の持ち主だと思います!」(!)
そんなことないよそんなことないよ。
せめて笑顔だけは、って笑ってただけだよ。
私のことをお世辞でもそんな風に思ってくれたなんて、見ていて
くれたなんて本当に嬉しい。ありがとう。やさぐれる必要なんてなかった。
いい大学生活だった。ウヒョア
まだまだ世の中捨てたもんじゃないな
口の中にしょっぱいものが流れて…
さっきから目から鼻水がとまらんじゃないか
暖かい気持ちになれました。ありがとう。
死んだ婆ちゃんのこと思い出してしまった。
体起こすの辛いだろうに頬を撫でてくれたなあ…。
あと腹筋も崩壊した。
平井堅グッジョブ・・・( ´;ω;`)
ホント家族系とか弱い。
平井軟…(´;ω;`)
平井グッジョブw
にじんでちゃんと読めないだろうが・・・
涙なんかじゃないんだからねっ!!
みんないいヤツらだなぁ (´;ω;`)
(もらいなきのふしで)
良い話をありがとう
良い話でした、ありがとう。
か、花粉症なだけなんだからね!
誰もが誰かのPOPSTAR、か…。
何回泣かせるんだと
>>228は平井堅が応援してくれるくらい最高な人なんだなw頑張れよ。
勿論他の人も!
平井堅で腹筋よじれた。
明日も頑張ろう。
元気にさせてくれてありがとう
※seesaaが重い時は反映されるまで時間がかかります。