ttp://changi.2ch.net/test/read.cgi/2chbook/1242994910/
@同人ノウハウ板
4 :スペースNo.な-74:2009/05/23(土) 14:24:37
A館目掛けて走る群れに巻き込まれたのも今となっては良い思い出w
気付けば、長机4本スクエア配置な大手サクル孤島の周りにとぐろを巻く列の一員。
(記憶が曖昧なので、もしかしたら凹型机3本だったかもしれんが)
隣の島(別大手サクル)が遠く、何かそれだけで色々衝撃だったww
折角並んだので、とりあえず本は買った。
あの時の夏コミ限定A4ハードカバー帯付上製本、どこいったかなぁ
6 :スペースNo.な-74:2009/05/23(土) 17:04:46
>>4
A館って30サークルくらいで1ホール使ってたんだよね。すごいな
晴海の最後の方にA館制度がなくなってわかりやすいステータスがなくなった気がする
晴海時代はサークルの当選率が5割切ってたからひとつでも多くのサークルを受からせるために
A館制度が廃止になったのは時代の流れだけど
7 :スペースNo.な-74:2009/05/23(土) 19:59:22
新幹線入稿とや飛行機入稿をする大手は減ったよな
FTPあるからだけど
8 :スペースNo.な-74:2009/05/23(土) 23:53:20
A4本が結構当たり前にあったなぁ
香り付きの半透明な遊び紙が付いた本、20年経った今でも香りがするよw
9 :スペースNo.な-74:2009/05/24(日) 00:52:37
>>8
主将翼の頃はページ数が多くて分厚い本が多かったけど、鎧の後期や
最場ーになると、厚さだけを強調する為、表紙に使うようなごつい紙を本文に使ってた
それでA4となると極悪ですよ。高いわ重いわ邪魔になるわで
10 :スペースNo.な-74:2009/05/24(日) 01:03:42
昔は絵が下手でも内容が面白いサークルは人気があったけど、
今は内容がよくても絵が駄目だと人気もないし叩かれるよね
同人板見てても話の中身には触れてないのに「絵が…絵が」というレスばっかりだな
13 :スペースNo.な-74:2009/05/24(日) 11:24:40
>>10
確かに下手でも話が面白ければ評価される時代だったなぁ
絵や話に温かみを感じたりする同人誌も多々あった
17 :スペースNo.な-74:2009/05/25(月) 05:39:48
昔は暑苦しいくらいパッション溢れる本が多かった。語りも作品も
ネットがなかったせいかもしれない。溢れる感情を原稿用紙に叩きつけるしかなかった
けど今はネットなどで同士が集いやすいから、感情が適度に昇華される部分もあるのだろう
トークも暑かったな。今はヲチがあるせいかトークも控えめだね
当時同人をやってた人が多いジャンルは今でも話をしっかり書く人もいるけど
当時のような暑苦しい本が読みたいなあ
18 :スペースNo.な-74:2009/05/26(火) 02:48:23
トークや対談だけの本もあったな
トーク本読むのが好きだった
今は全然そういう本みかけないな
というかそもそも本のトークが減ってしょんぼり
19 :スペースNo.な-74:2009/05/26(火) 08:42:38
>>18
微妙なフリートークの内容の本を発掘したりすると、こうやって延々紙で残っているのと
ブログで痛いこと書いちゃって削除してもネットの風評で延々語られるのと
どっちが本人的にマシかなー?とか考えたりする
昔の紙媒体なら数百から精々千あたりで済んでるはずだけど、
ネットだと何人に見られてるか判んないしね
20 :スペースbネ‐74:2009/06/05(金) 20:24:49
バブルの頃、好きなサークルさんにお菓子やら花束、プレゼントを貢ぐのが当たり前だった。
公務員の家庭に生まれ、バブルとは無縁だった私はしなかったが、友人が好きなサークルの数だけ
お菓子の詰め合わせを買っていた。
21 :スペースNo.な-74:2009/06/05(金) 21:26:52
高そうで派手なスーツ着た人は、みんな大手様だと思っていたあの頃・・・
22 :スペースNo.な-74:2009/06/09(火) 11:53:56
自分は癌翼くらいからしか知らないけど
その頃はまだ本にフリートーク満載だったな
桃色家の服も流行ってたようだ
本の内容と全然関係ないのにそんなお買物レポがかいてあったり
今でいうところのブログのようなものだったのかもしれない
あと仕事場として連載漫画家みたいに自宅外に部屋借りるのがステータスっぽかった
自宅の自室が手狭で親元から独立して部屋借りてるならわかるんだけど
ご飯やらの生活は親にみてもらってて
でも仕事場に通うアテクシ、他に部屋借りれる財力というのを演出したいっぽくなんだかなと思った
借りる時のトークはテンションすっげー高いが引き払う時の言い訳がおかしくて笑える
ああ栄枯盛衰なんだなと思った
26 :スペースNo.な-74:2009/06/09(火) 21:36:41
もう手放しちゃったから詳細忘れたけど、
表紙にビニールが貼ってあって、その中に液体とキラキララメが入ってた
27 :スペースNo.な-74:2009/06/09(火) 22:43:06
小説全ページ手書きだった
ワープロ打ちの本のときは
「時間がなくて今回ワープロでごめんなさい」
と書いてあった。
主将翼の初期の頃だったっけ
30 :スペースNo.な-74:2009/06/10(水) 10:40:56
>>27
全ページ手書きは聞いたことあるけど単にワープロやプリンタが
普及してないせいかと思ってた
手書きじゃなきゃ愛がないみたいな雰囲気だったのか
それとも仕上がりが汚くなる理由でもあるのかな
31 :スペースNo.な-74:2009/06/10(水) 15:33:37
>>30
単純に普及してなかったせいだと思うよ。
あと、20年くらい前に買ってもらった最新機種で1文字48×48ドットくらいだったから、
当時主流だったのは24×24くらいのもっとドットが荒い機種だと思う。
だからワープロ持ってても手書きの方が読みやすい、という理由もあったのかも。
手書きじゃない=愛がないという認識はなかったな。
32 :スペースNo.な-74:2009/06/10(水) 22:39:13
そういや手書きの頃は、小説って横書きだったよな
字も大きくて、一頁の字数的には今スカスカpgr対象と同じくらいかもしれない
あの頃は、マンガに比べて小説がラストスパートがきくという事はなかっただろうな
むしろ綺麗な字を書き続けるには限界があるから、ギリギリになると小説の方がキツかったかもしれない
35 :スペースNo.な-74:2009/06/25(木) 11:35:13
昔イベント会場に花屋が出てて
差し入れで花束貰うのが夢だったなあ。
今貰ったら迷惑でしかないけど。
36 :スペースNo.な-74:2009/06/27(土) 19:29:22
花屋はいつ頃まで出てたんだろうね?
10年程前に貰ったきりで、それ以降はさすがにないな…
37 :スペースNo.な-74:2009/07/08(水) 20:12:10
当時未成年だった知人は、同人の2年分の売上だけで家2件建ててたよ
その後多少ゆるやかになったとはいえバブルは続いていて
外車2台くらい買って、しかも親兄弟養ってた
当時私は地方にいてバブルの実感はなかった(上記は後で聞いた話)が
今思えば地方のマイナーイベントでも島中が札束数えてたりしてたなー
今じゃ東京や大阪でしか見られない、イベントの開場前の長蛇の列(時には徹夜)も
よく見る光景だった
38 :スペースNo.な-74:2009/07/14(火) 11:37:43
家(土地付き)1軒5000万として
1億のお金を未成年が持っていることに対して
親がどう思ってたのか気になるなw
39 :スペースNo.な-74:2009/07/16(木) 11:47:35
親には全部事情話して公認くさかった
むしろこれで老後は安泰だと喜んでいたっぽい
41 :スペースNo.な-74:2009/08/06(木) 08:26:11
なんて懐かしい話題が!コミケ初参加は幕張なんだが、あの時の会場は
暑かった…入場できた時の達成感のすごさったらw
花屋さんも1時くらいで売り切れになってたし、毎回差し入れお菓子に
頭を悩ませてたな。
94年頃、大学の知人(男)が格闘ゲームからときメモに行って、そっちの
大手と仲良くなったとたんに部数がコピー30部→オフ7000部になって驚いた。
(7000てのは2〜3大手と合同だったらしいけど)
世間じゃバブル終ってんのに、ここは世の中と時間がずれてると思った。
51 :スペースNo.な-74:2009/09/06(日) 21:12:00
C翼時代の売れっ子字書きさんのフリートークで
「同人誌の売り上げでマンション買ったなんて噂広めるのはやめてください
頭金を作っただけです」
というのがあった。
結構怒っていたみたいだけど、奥付の住所が都心一等地に変わったらそりゃ邪推されるよなー
んで、頭金作っただけでもすごいのではないかとw
52 :スペースNo.な-74:2009/09/06(日) 22:39:05
桃屋のフルセットてご飯ですよの詰め合わせじゃないよなあ・・・
何か高級な物ですか?
53 :スペースNo.な-74:2009/09/06(日) 22:49:03
>>52
ピンク/ハウスのスーツとかだと思う。
54 :スペースNo.な-74:2009/09/06(日) 22:50:42
>>53
ありがとう
服か。服のプレゼントって凄いな
55 :スペースNo.な-74:2009/09/06(日) 22:59:31
そうです、服です。
ブラウス:40,000くらい
オーバーブラウス:60,000くらい
カーディガン:50,000くらい
コサージュ×2:15,000くらいを2個
ワンピース:90,000くらい
ペチコート:30,000くらい
靴下:3,000くらい
ブーツ:50,000くらい
可愛いから着てほしいの、着た姿見せてくれるだけでいいとか言われて
断りきれなくて次のイベントに着ていったけど、今思い出しても怖い。
56 :スペースNo.な-74:2009/09/06(日) 23:17:59
服貰ったなーそういえば
自分は桃色ハウスのイメージじゃなかったから、ブランドは違ったけど
結構なお値段のものを頂いてた
後はカルティエのアクセサリとか
恐ろしいことに当時はそれを普通に喜んでて、とんでもないとか思わなかったことだ
花は、いつも空いた段ボール使って搬出作業してたっけ
邪魔っちゃ邪魔なんだけど、日常生活でゴージャスな花束いくつも貰うなんてこと
普通にしてたらそうそう無いから、晴れ舞台みたいな感じでやっぱり嬉しかった
58 :スペースNo.な-74:2009/09/07(月) 02:22:35
ボーナス全額握りしめてコミケに挑む猛者の買い専がいた時代だからね
いくら持ってきた? アタシ60万〜、みたいな会話が耳に飛び込んでくる様な。
お金も舞ってたけど、何かしよう・してあげようの交流自体が
華やかさをもりたててたと思う
59 :スペースNo.な-74:2009/09/07(月) 05:41:09
>>58
そういや昔は段ボール1箱〜2箱くらい買い物して会場から自宅に送ってた
今思うとなんであんなに買ってたのか不思議だw
61 :スペースNo.な-74:2009/09/07(月) 11:56:22
同人バブルが弾けた頃ってどんな感じだった?
世間と同じでいきなり売れなくなったりしたのかな
それともゆるやかに失速?
63 :スペースNo.な-74:2009/09/07(月) 13:15:14
衰退はネットの隆盛と被るね
自分の世代的には911のテロ以降、2003年まで実体経済が冷えた辺りだった
その前後にネット回線が定額になって若い人でも気軽にPCでサイトを
作れるようになったから、たぎる萌えが分散され始めた。
お金も使わずリアルタイムで供給があるから自分もイベント行く回数減ったよ
67 :スペースNo.な-74:2009/09/07(月) 19:06:55
ページ数も60くらいなら薄い方みたいな感じで、自分もあの頃は
100ページの漫画本とか頑張って出してたよ
今だとへぼんとか痛いとか言われそうなネタも、あの頃はやりまくってた
A4の本も結構作ってたし、値段は結構高い本多かったけど、
そのかわり分厚かったり豪華だったりしてたし
買う方もいちいち値段気にせず段箱いくつも買いまくってたしなあ
ただ、東京の散在っぷりに比べると、当時から地方ではそこまで激しくなかったと思う
68 :スペースNo.な-74:2009/09/07(月) 20:27:49
当時の同人誌って1,000円だと「安い」と感じた
中身も充実してたな
小説あり漫画あり作者たちの対談ありキャラ同士の恋愛フォーチュンありと
対談つっても修羅場の実況だったけどw
69 :スペースNo.な-74:2009/09/07(月) 21:07:31
良い意味で暑苦しかったよね
70 :スペースNo.な-74:2009/09/07(月) 21:24:31
まあ昔はあまり書き込んでない人が多かったから
分厚い本をばんばん出せたような気がする。
今は昔より絵のハードルが確実に上がっている。
71 :泡:2009/09/07(月) 21:31:13
翼の頃初版一万部刷ってるサークルがあった
予約が七千部前金で。
今思うと恐ろしい時代だよね
74 :スペースNo.な-74:2009/09/09(水) 18:13:49
ふと思い出した。
ダブル表紙の本とかあったよね
表紙先行入稿したけど結局落として刷った表紙がもったいないから
中表紙や遊び紙がわりにして本にしたやつ。
今以上に表紙の紙や装丁にこってた時代だったからか
特殊紙2枚の表紙本は硬くて読みにくかった思い出w
75 :スペースNo.な-74:2009/09/09(水) 19:28:07
本文紙替えで特殊紙何種類も使ってたよなあ
ああいう本は今開いたら背割れするから恐くて開けないw
78 :スペースNo.な-74:2009/09/11(金) 05:34:32
印刷・製本関連の実験場だった時代だな
特殊加工などもいろいろあった
蛍ピ入れるのも同人の方で定着化したものが商業へ、だったな
どことは言わないけど漫画雑誌の本文カラーが3Cってところもあったくらいで
採算的にあまり冒険できなかった商業より同人誌の方がやったもん勝ちで華やかだった
79 :スペースNo.な-74:2009/09/11(金) 12:41:44
大手はハードカバー上製本とかもあったなあ
箱入りとかも
80 :スペースNo.な-74:2009/09/11(金) 19:43:50
自分が大台刷れるようになった頃、周囲はみんなカラーは5cに更に特色プラスは当たり前
色校出すのも当たり前、すげー特殊な紙を使うなら本紙校正だってやるよ!
なノリだったので、自分もそれが当然だと思ってやってた
色校が上がって来た時のわくわく感とかなつかしいな
……今は、完全版下で入稿、セットの4cカラー、本文墨いち
81 :スペースNo.な-74:2009/09/11(金) 21:39:39
5c蛍ピでもエヴァのカヲルの肌だけは
蛍ピを入れない指定をした
82 :スペースNo.な-74:2009/09/11(金) 22:32:04
本文全ページ2色刷りとか3色刷りの本もあった
表紙の2色刷りですらめんどくさいと思ってた自分は
「すごいなぁ」と心の底から尊敬してた
あと今でも印象に残ってるのは、某美少女戦士アニメの5人組本
1人1冊づつ、5冊組になってるやつ
新刊セットっていうと
「その日の新刊3種以上が絵入りの角型封筒に入ってるもの」
ってイメージがあるんだけど、今は新刊+ノベルティ+ビニバなんだな…
83 :スペースNo.な-74:2009/09/12(土) 08:16:02
そういや自分も5色6色当たり前だった
今じゃデータに移行したんで特に特色入れなくても
調整して鮮やかな色味に出来るんで格安になったなw
85 :スペースNo.な-74:2009/09/14(月) 07:16:37
壁大手以外はオプションなんかつけれませんでしたよ
86 :スペースNo.な-74:2009/09/14(月) 19:37:29
ピコ手にはグラデーションという強い味方があったじゃない…!
87 :スペースNo.な-74:2009/09/14(月) 21:14:51
フルカラーよりも3色刷りが上手いサークルさんに憧れてた
今よりもデザインや装丁で凝ってる人は多かった気がする
88 :スペースNo.な-74:2009/09/15(火) 15:29:05
グラデなつかしいなー!
まだ便箋界では若干残ってるみたいだけど
グラデ印刷の本はほぼ絶滅したねー
89 :スペースNo.な-74:2009/09/15(火) 15:30:08
グラデ便箋リアの時に作ったw
90 :スペースNo.な-74:2009/09/15(火) 16:06:44
若輩者なのでグラデ印刷がわからなくてぐぐった
確かに最近見かけないけど、珍しくなっただけにこれはこれで
上手く使えばおしゃれな気がする
91 :スペースNo.な-74:2009/09/15(火) 23:56:09
決まった多色のセットを利用したグラデは
CGカラーの原稿+フルカラーで実現可能になっちゃったからねぇ
微妙なムラの違いが好きだったけどな
92 :スペースNo.な-74:2009/09/18(金) 16:11:34
でも流行が一周したのか、
最近センスいいグラデの本ぽつぽつ見るようになった。
フルカラーの疑似グラデかもしれないけど。
バブルって言うか、単に思い出話なんだけど、
お菓子の箱やブロックノートが島中を回っていたのが懐かしいな。
93 :スペースNo.な-74:2009/09/18(金) 16:19:31
全然知らない隣の席の子と仲良くなって
その子達のグループに混ぜて貰って
そのままご飯食べに行ったりとか普通にあったな
94 :スペースNo.な-74:2009/09/18(金) 17:21:05
>お菓子の箱やブロックノートが島中を回っていたのが
どーゆーこと?
「これ食べてください〜あ、向こうの人も!」とか
「これにラクガキしてください」ってこと?
95 :スペースNo.な-74:2009/09/18(金) 17:48:31
ブロックノート懐かしいwww
そういやそんなのあったなあ。ノート廃止の時にも
コミケでいろいろ議論されてたよな
96 :スペースNo.な-74:2009/09/18(金) 17:57:13
>94
お土産用の箱菓子を島の端の人が隣の人に「これどうぞ」って渡す
隣の人は一つ取ってまた隣に回す
途中で手持ちのお菓子を入れる人もいる
誰から回ってきたのか分からないお菓子を
食べても平気な時代があったんだよ
97 :スペースNo.な-74:2009/09/18(金) 18:00:43
>>94
たとえばビスケットの箱を、「お好きに食べてください」って
差し入れよりずっと軽い感じで隣のサークル(もちろん知らない人)に流すんだよ
隣の人が一つつまんで更に隣に、その隣の人も一つつまんで隣に
途中でクッキー足したりキャンディ足したりする人もいて
一周する頃中身が見事に変わってたりしたのもいい思い出
毒混入とか誰も考えなかった時代の話
100 :スペースNo.な-74:2009/09/18(金) 20:12:50
ブロックノートっていつ頃まであったんだろう
最初の方に描くと他の人の描いたのが見られないのが悔しかった
バブルとは逆かもしれないけど
コミケカタログが中とじだった時代もあったよね?
配置図が真ん中にあってベリッとホチキスから剥がす仕様だったような
101 :スペースNo.な-74:2009/09/18(金) 22:55:47
>>94
差し入れは他の人が書いたので、ブロックノートのことなら
準備会がブロックごとに回してたノート
サークルがコミケの感想など好きなこと書いて隣のサークルに回す
そのついでにお菓子を回す人もいてコミュニケーションが取れて楽しかった
復活して欲しいなー
102 :バブル:2009/09/18(金) 23:30:10
ブロックノートは上流に好きなサクル主(絵)がいると生ラフ画やほーい!だったなあ
そして売り子だった私は、サクル主がいない時に回ってきたブロックノートを
いつまでも止めるわけにもいかず焦った
今なら携帯があるけど、あの頃はまだ一般的なものじゃなかったし
103 :スペースNo.な-74:2009/09/19(土) 00:46:12
男性向けのイベントだとまだブロックノートが生きてるよ
狭い範囲回してるから何度も回ってきて描くネタが無くなる…
104 :スペースNo.な-74:2009/09/19(土) 06:03:14
壁のブロックノートとかなかなか豪華だったw
105 :スペースNo.な-74:2009/09/19(土) 07:44:07
リア厨だった頃は、大好きなサークルに差し入れするために
小遣いを自分のために使わずに毎月コツコツ貯めてた。
今なら節約して差し入れするくらいなら、自分の欲しい本を好きなだけ買うけどw
当時はお小遣い多くなかったから、本は友達と共同買いして
差し入れに力入れてたんだよね…ナツカシス
112 :スペースNo.な-74:2009/09/21(月) 02:43:41
昔中学生くらいの時にはじめて行った地元イベントで
委託で来てた本にラムちゃんのエロ本があったの思い出した
ラムちゃんがひたすら裸なイラスト集だった
毛も書いてあったから衝撃だったよ
113 :スペースNo.な-74:2009/09/21(月) 08:09:01
昔の男性向け大手のエロ同人誌何冊か手元にあるけど、確かに無修正だったね
でもって、すげー手抜きでトーンも背景も何もなし、ベタも最低限、みたいな本でも
局部のみリアルに描きこんで、トーンも重ね貼りしてあるよw
当時その手の本を買える年齢だった自分は笑ってみてたけど、確かにリアの子が見たら
トラウマものかも
114 :スペースNo.な-74:2009/09/21(月) 11:37:53
そうそう、んで大昔の女性向けって
朝チュンが多くてエロシーンも今見るとたいしたことない描写
今では割と見かける局部モロ描き(もちろん修正ありだが)なんてほぼ無かったと思う
主流は白く抜くかビームサーベルww
上半身であっあっみたいな…
エロよりもそこに至る過程が大事系っつーか
今の女性向けはエロ描写は格段に進歩して
(絵柄が)ソフト傾向にある男性向けのエロにさほど抵抗が薄れてるんじゃないだろうか
特殊な嗜好ジャンルは過激だけど、女性向けも過激な描写をするサークルも多いし
BL商業でのエロ描写に目が慣れたのかもね
115 :スペースNo.な-74:2009/09/21(月) 18:39:09
まあ女子小中高生が買えるような
エロ少女漫画雑誌が反乱してる世の中だもんな
116 :スペースNo.な-74:2009/09/22(火) 00:45:01
>>114
ネットで映像や画像を拾えるようになってからティンコをはっきり描く人が増えたと思う
117 :スペースNo.な-74:2009/09/22(火) 17:01:03
あと18禁表示の義務付けで、どうせ18禁にするならとことんやっとかなきゃ
みたいな線引きの強い風潮になったんではないか
123 :バブル:2009/09/25(金) 22:08:55
札は全部黒いゴミ袋に投げ入れてた
金融系な常連客に札勘定してもらってた。勿論扇で
帰りの打ち上げは銀座一択。
今思うと阿呆っぽいとしか。
124 :スペースNo.な-74:2009/09/26(土) 11:30:22
それもひとつの時代の証明。
あの頃だからこそのカオスも必要な流れだったかもしれんさ。
133 :スペースNo.な-74:2009/10/01(木) 12:33:56
大阪都市で壁サークルが新刊ダン箱積み上げて要塞作ってた思い出
壁を背にコの字型にしてて高さ2メートル位あった
今じゃ普通の都市程度であんな搬入あんまり見ない気がする
左右にスゲー迷惑になってたし。
ちなみに本はハードカバーで厚さ3センチ位
138 :バブル:2009/10/04(日) 14:48:24
超大手の為に先に入稿済のピコ手をまとめて落とす印刷屋なんて日常茶飯事だったよね
今ならでかい祭だよなあ
142 :スペースNo.な-74:2009/10/10(土) 18:57:47
晴海時代にサークル参加とかじゃなくて普通にコスプレしていたら
「ちょっとだけここで待っていてもらえますか!?」と言われて
了承して待っていたら薔薇の花束貰ったことがある。
多分、2〜3千円はしたと思う。
自分にとっての同人バブルらしい思い出です。
146 :スペースNo.な-74:2009/10/25(日) 17:59:37
男性向けじゃなくてごめん。
表紙がビロード貼りとか普通にあった。
10冊セット(中味全ページフルカラー)+和紙の化粧箱入りとか。
その割に値段は良心的で、いったい印刷費はいくらだったんだろうって海鮮ながら心配してた。
それと数十サクルくらい予約通販申し込んで、本が来たのは約3分の2。
あとは「本出せません」で払い戻しor問い合わせても音沙汰ナシの踏み倒し。
酷い所は通販だけ知らん顔して、普通にイベ売りはしてた。
商業デビューした某氏もソレやってたけど、当時は泣き寝入りした人が多かった。
152 :スペースNo.な-74:2009/10/28(水) 08:52:47
まだインテが主流じゃなかった頃
東のコミケ、西のコミストなんて言われていたな
コミケが一万サークルぐらいでコミストは二千ぐらいだったけど
当時自分はリア中だったけど、差し入れに花束とか貰っていた
相手もリア中〜高ぐらい…今よりいい装丁の本を今より遥かに高い
印刷費払って作っていた。お年玉とかで初期投資しておけば
本は売れるので、あとは自転車でどうにでもなったんだよな…
153 :スペースNo.な-74:2009/11/15(日) 22:16:41
当時大手の友人が忙しくて基礎化粧品が買いに行けないとフリートーク(笑)に
書いたら次のイベントでシャネルの基礎化粧品フルセットを貰ってた。
化粧品といえど、有名ブランドのフルセット(10品くらい入ってた)
っていくらになるんだか…。
海外コスメなんか使った事もなかった大学生だったからまたフリートークに
その事を書いたら資生堂の最高級ブランドの同様セットを貰ってた。
「思い到らなくてごめんなさい」の無記名メモつき。
肌に合わないと書いたわけではないのだが。
彼女がそのジャンルを撤退するまでバブルは続いたので、シーズン毎に
夏用冬用のフルセットが無記名で届けられていた。
かなり大きめの箱に入ってたけど、それくらいの箱の差し入れは絶え間無く
スペースに放り込まれてたし名前を聞こうとしてもみんな、いいんですっ
先生がんばってくださいっと去って行く人多数でした。
シャネルのはわたし含め売り子みんなで分けた。クレンジング貰ったっけな…
あの香りを嗅ぐと今でもバブルを思い出す。
154 :スペースNo.な-74:2009/11/16(月) 23:05:31
資生堂でもスキンケアだけで20万いくと思うよ…
クレドポーボーテのシネルジックのラインだとクリームだけで12万だし
155 :スペースNo.な-74:2009/11/16(月) 23:36:26
ラインにもよるけどな
つーかまさにバブル!な話でテンションあがる>153
失われた10年の世代なのでwもっと聞きたい
156 :153:2009/11/17(火) 01:41:26
喜んでもらえてなにより。
差し入れは凄かったなあ〜私たち売り子がイベント始まる前にまずやる事は
空の差し入れ用段ボール箱を3箱作る事だったからなあ。
最近は花束も見ないね。
イベント後、本が入ってた印刷所からの段ボール箱をみんな貰いに来てました。
今でならリサイクルだがなにやらブランド扱いされてたらしい。
サークル名入ってるからな…。
売り子だとあまりバブルらしい話題がなくて申し訳ない。
当の本人はいま商業作家で時々「あの頃はなにもかも浮かれてたよね〜」と
飲み会のネタになっている。
157 :スペースNo.な-74:2009/11/17(火) 01:46:59
今でもたまに好きな大手のダンボール箱を持って帰る人いるよ
貰ってるのか、ゴミ箱からとってきてるのかは分かんないけど
でもたまーにで、自分も今シャッター前売り子してるけど、一回出くわしただけw
銀行の人が来てたり、高級外車で会場に乗り付けたとか本当なのだろうか…
158 :スペースNo.な-74:2009/11/17(火) 02:02:43
銀行の担当者が休日返上でイベント会場まで来てたのは知ってる。
高級外車は知らないけど
差し入れが多すぎて差し入れ運搬用に
もう1台(人間が乗らない)タクシーをチャーターして
ホテルまで帰ったことならある。
花とかはそのままホテルの部屋に置いて帰ったな。
159 :スペースNo.な-74:2009/11/17(火) 04:03:51
銀行にコミケの売上を持って行ってたらなんか担当がついた。
会場までは来なかったが、コミケ終了後、家に計算係と二人で集金に来てくれた。
マンションの出口には警備係として男性行員が待機してた。
銀行はすぐ隣のビルだったんだけども。
その担当に外で会うと「せんせーい!!!」と叫ばれるのが嫌だった。
オタクでも彼にとっては上客だったのだろうな。
引越してずいぶん経つが、ふと思い出す。
昔は夏冬のコミケしかなかったようなもんだから売上もでかかった。
新刊も複数出し易かったし。今はイベントが多すぎるな。
162 :バブル:2009/12/13(日) 18:30:24
昔はどの月も、シティ(赤豚or文芸)かライブのどっちかがイベントやっていた。
12月はないこともあったような気がするが、逆にコミケ直前に開催されていたこともあったはず。
赤豚と文芸の都市は、名前は同じでもロゴは違った気がする。
私は赤豚は商業色が強いと毛嫌いし、共催のスーパー以外は避けていたので
震災がおきるまでは神戸都市に行っていて、大阪都市に行ったことがなかった。
名古屋圏在住だったので、夏冬ミケにスーパー都市、名古屋都市とライブ、京都都市、
神戸都市にたまにある地元近郊の小規模都市orライブで
ほぼ月一以上オールジャンルイベントに行っていたよ。
GWに至っては、東京(二日)→名古屋→大阪(神戸だったかも?)の梯子が当たり前だったしねw
オンリーは、今と違って同ジャンル内で毎年何回もあるようなものじゃなく、
何年かに一度あるお祭りって感じだったな。
多分、159の多すぎるイベントにはオンリーが含まれてるけど、
160はオールジャンルイベントのみで考えるんじゃないかな?
今は複数ジャンルやってると、オンリーが同月に重なるとか普通にあると思うし、
オンリーだと本出したいだろうから、サークルだと余計イベントが多い気がするんだと思うよ。
163 :スペースNo.な-74:2009/12/20(日) 02:34:34
昔は今みたいにオンリーなんてボコボコ無かったしね
168 :スペースNo.な-74:2010/01/14(木) 23:29:52
大手のペーパー今読み返すと
イベント参加予定、
商社マン並みに日本飛び回ってね?
バイタリティあるな〜。
169 :スペースNo.な-74:2010/01/15(金) 01:30:23
旅行や観光も兼ねてたし、道具持って行って修羅場してたりもしたね
名産の旨いものとかペーパーやエッセイ本のネタにしてたし
いい回転だったなと思う
174 :スペースNo.な-74:2010/01/18(月) 22:27:33
ネットって相手が見えないからか
リアルではチキンな人でもあら探しして叩いたりするけど
当時はリアルの熱気しかないから相手に直接ぶつかる根性がなければ
表だって無意味に叩いたりする人はそうそういなかった
(もちろんカプなど嗜好性の違いでたたき合うのはあったよ)
よほどの粘着気質以外は嫌いなものに延々くっついてるのは無駄、
作るのも買うのも好きな対象に向かっていくのが普通だったから
作る・買うというサイクルが上手くまわってて良かったんだと思うよ
エネルギーが前方に向かえばいいことに繋がるのは自然な流れなんだけど
それがいまはひん曲がって迷走してるのも同人界不調の一因かなと思う
175 :スペースNo.な-74:2010/01/19(火) 02:40:33
まるっと同意。
A館制度なんか今あったらどうなる事やら。
あの当時は他がやってない事を探して、やるのが楽しかったなあ。
しかしあの頃の流行ジャンルの本ってなんであの厚さで月刊とか出来てたのか不思議だ。
自分だけじゃなく周りも。
午前は東京のイベントに出て、その日の新刊持って午後は大阪の
イベントへ、とか何回かやったよ。
新刊が出来たのがイベント当日の朝だったから。
ケイタイもなかったから突然現れた自分に大阪の売り子がものすごくびっくりしてたな。
どれもこれも今なら叩きのネタにしかならないね…。
177 :スペースNo.な-74:2010/01/19(火) 14:06:07
バブルで儲けた人って今何をやってるの?
183 :スペースNo.な-74:2010/01/20(水) 00:56:50
ニートじゃないだろうけどかつての大手で
儲けた金でマンション買ってサクル相方と同居しながら
悠々自適に専業同人(たまに商業)ってのはちょこちょこいるような
184 :スペースNo.な-74:2010/01/20(水) 01:20:16
その人達ってヲバ絵になってないの?
絵柄を今風に変えてるのかな
185 :スペースNo.な-74:2010/01/20(水) 02:06:41
おおむねオバ絵だよ
絵柄も作風も昔のままうまく売れてる人もいればピコになってる人もいる
今でもブログの中身が猫とゲームとうまいもの食った買った豪遊記と
旅行だけみたいな羨ましいニート生活を満喫している人とかもいる
今の大手だと先行き不安定な世の中だし兼業大手の方が目立つ気が
187 :スペースNo.な-74:2010/01/20(水) 08:59:35
当時を知らない若造だが、同人でバブれたのは世の中が景気がよかったのに加え
ネットがなかったってのがやっぱり大きいのかな
萌えを満たしたかったら本を買うしかないという・・・
今じゃよほどのマイナーでなければネットである程度満たされるし
そもそもジャンル自体がネット発ってのもあるよね
あとネットがあるから流行が細分化されてる気がする
昔(〜幽白、GWのころ)は1つの人気ジャンルに一極集中という印象がある
188 :スペースNo.な-74:2010/01/20(水) 10:09:06
買い手側にも選択肢がないというかそんな感じ
189 :スペースNo.な-74:2010/01/20(水) 20:53:30
発信するまでは行けなかったが、自分オンリーワンジャンルの本が
3版まで行って完売出来ちゃったりした。
あの当時はたいした部数じゃなかったが、今そんなに刷ったら書店に出しても
半分以上残っちゃうな。
ペットや芝居生物とか旅行記とか日常本が出て来たのもこの頃だよね。
そんなけったいなものでも読んでみたい、まずは買ってみようと思ってもらえた。
ネットも同人書店も同人古書店もない、世間では既にバブルはじけてたが
漫画は最も安上がりな娯楽と言われてたしゲームまでやる人は少なかった。
誰もが手軽に作家になれて、他人とコミュニケーションも取れるような気もする
同人誌は新鮮だったしブームだったんだろうな。バブルというよりも。
190 :スペースNo.な-74:2010/01/20(水) 21:06:44
加えて商業誌で読めないような妄想や毒、またはほのぼのライトな作風も
新鮮さの一つだったと思う。
その後同人作家が次々商業デビューしてって商業誌でもそういうのが
読めるようになって希少性がなくなった。
208 :スペースNo.な-74:2010/01/31(日) 13:03:14
バブルの時代の話をここで見てると、
羨ましいレベルを超えてただ「すげえ」としか言えないなwww
何度も書かれてるけど、昔の大手ってホント本出すペースが半端ないよね。
昔から大手で今も同人(その長寿ジャンルでトップ)やってる友達がいるんだけど
その人も描くのが本当に早い。0から始めて2日で20p本出してる。
ただ、昔って 絵の丁寧さ<<<勢いだから、ある程度は今の同人屋よりペース速いというのは
さもありなん、とは思う。今の大手って皆絵が綺麗だからその分時間掛かってるだろうね。
209 :スペースNo.な-74:2010/01/31(日) 13:20:33
バブルの頃かちょい後くらいに出た本のトークに
2週間で80Pだか70Pだか描いたと書いてあって、専業だとしても随分早いな〜と思ったが
それは普通だったのか・・・
(大手だからアシ入れてたとは思う)
215 :スペースNo.な-74:2010/02/01(月) 03:08:55
アシというか、友人総動員して手伝ってもらったりとかしてたみたいだね
今から見たら、その修羅場メンツがやたら豪勢だったり
そういえば昔はジャンルも描き手も少ないせいか
昔の大手同士は顔見知り率が高い
216 :スペースNo.な-74:2010/02/01(月) 12:09:31
ただ今時分は、大量のアシ代わりにパソコンが手伝いしてくれるからなあ。
消しゴムもトーンも楽チンで堪らん。
ありがとう、文明の利器!!って感じだ。
217 :スペースNo.な-74:2010/02/01(月) 17:02:29
そういえば昔の作家さんは滋養強壮剤のソムリエみたいな人がいたよね
100円のリポビタン系から5000円くらいの高級なのまで味と効き目が比べられて
トークとかに書かれてた
ダースで買ってたりして当時の大手は入院しまくりだったのがよくわかる
218 :スペースNo.な-74:2010/02/01(月) 18:24:34
そうやってユンケルとか飲んで徹夜して無茶した結果、
30代以降に体にガタがくる元大手が多かったイマゲ
肝臓に悪いよなああいう栄養剤
227 :スペースNo.な-74:2010/03/10(水) 01:45:07
バレンタインの近いイベントだったからいろんなチョコをもらったんだが
食べてるうちにふとこのスレを思い出した
バブル時代のバレンタインはやっぱりすごかったの?
228 :スペースNo.な-74:2010/03/10(水) 06:59:56
>>227
えみくりは毎年キャラ宛てにチョコが届いてランキングを5月発行の本で発表していたな。
「○位と○位の間にワタシが入ります」というコメントもあった。
何か天災があったとき、○○くん宛ての分義捐金募金しました!というのもあったらしい。
241 :スペースNo.な-74:2010/05/18(火) 16:14:34
まだコミケが春にもあった時代、有名デパートの外商が差し入れを持ってきた。
昼前に「○○様からのお届けものです」って料亭のお弁当10人分。
あの頃は当たり前のようにもらってた。外商の人はどうやって中に入ったんだろう。
本の代金はダンボールに黒ビニールをセットしたものに投げ込んで2/3くらいに
なったらガムテで閉じて後ろに積んでいく。14時くらいになると銀行員3人がきて
ダンボールのお金を勘定してもらって受領書をもらった。
当時の流れでダンパやお茶会やバスツアーをやったんだけど長崎や青森から
来る人もいた
家族が結構重い病気になったんだけど、それをどこからか聞いた海鮮の子が
父親が勤めている大学病院を紹介してくれた。御礼にA3のイラストボードを渡したら
彼女の父親(教授だった)が病室に来て御礼を言われた。謝礼を渡そうとしたら固辞された
あの時代はなんだったんだろうか
今アパートと駐車場を持ってますがスーパーで品出しのパートもやってます
242 :スペースNo.な-74:2010/05/18(火) 17:27:25
妄想おつ
243 :スペースNo.な-74:2010/05/18(火) 19:47:06
黒ビニール袋(要するに当時のゴミ袋)に売り上げ金を放り込んで
それを銀行の人に勘定してもらう話と
ダンパや茶会やツアーなら実際あったな…
それ以外は知らんけど
244 :スペースNo.な-74:2010/05/18(火) 20:46:32
黒ビニール袋までは私もやった
一袋で終わった程度のレベルでしたが
で、まだのんびり同人やってます
銀行の人が来た人も二桁は居たよね
246 :スペースNo.な-74:2010/05/19(水) 21:28:12
前の方に仕事場を持っていたという話がでていたけど
もしかして高校生ぐらいでもマンション借りていたりした?
自分は地方者&小学生だったんでイベントは行ったことがなく
どのくらいお金が動いてるが知らなかったんだけど
よく通販を利用していた高校生サクルさんの本の奥付が
マンションぽい住所と緊急連絡用として別の住所(自宅とのこと)が載ってて
下宿先から通学してるのかなと思ってた
今思えばあれは仕事場を借りてたんだろうか
247 :スペースNo.な-74:2010/05/19(水) 21:39:52
通販するのにでっかいポストが入用だった時代だから
私書箱代わりに別の場所を借りていたのかもね
住んでいたかどうかまではわからないけど
みんな住所を明かしていたけど、ファンの人が
プレゼントを玄関先にこっそりおいていったりと
ある意味フリーダムだけどいい時代だった
アニメックの頃…―編集長(ま)奮闘記
そうだよな昔はネットがなかったんだもんなぁ・・・
それと昔のオタクは誰しもがもっさくて地味なイメージだったけど
サークルってだけで豪華にしなきゃいけないみたいな風潮があったなんて・・・バブルの恐ろしさよ
でもいい時代だったんだな。
ヲチみたいな叩きが無いのは本当に羨ましいわ
歌詞とか丸写ししてカプ語りとかあったw
奥付もぎっしり文字書いたよな
ネット普及が終わりの始まりって書いてあるけどこれ具体的に何年から何年までの出来事?
過去の特需と呼ばれる時期を思い出すといい
最後の特需は95、6年のエヴァ特需だ
これより1個前のセラム特需の時期とかは凄かった
弱小には宣伝方法もなかったし、高校生だと参加費だけでも大変だったみたい(バイト禁止の学校だったし)
大きな駅の掲示板で同好の仲間を募ったりとか、今とは違うコミュニケーション手法はあったと聞いてるけどねえ
普通のバブルでも「あの頃は皆が浮かれてた」って言うけど、どんな感じだったんだろう
不況不況と言われる時代しか体験したことないからよくわからん
元有名レイヤーの知り合いの話では、ゲームメーカーの人が来て好きな服作ってコンパニオンしてくださいって衣装代100万出してくれたって聞いた
その人は男性向大手作家の彼女でゴミ袋の金を銀座で一晩で使うのが恒例だったとか。ヌゲー
服とかアクセサリのプレゼントってwwなんだそれww
自分も同人バブルではかなり儲けさせてもらった。
総合計で2000万はあったかも知れないけど、海外旅行5回とお気に入りのブランド服と美味しい食事にみんな消えた。
海外旅行は当時の最高級グレードだったよ。船旅最高。
今は引退してシャッター前の売り子やってるけど、やっぱりバブル時代とは桁が違うと思う。
作家の方もシビアになってるから、売り上げ500万近く行ってても打ち上げ(15人規模)で5万もいかないもんね。
確かに差し入れとか警戒しないといけない時代になったのは寂しいなと思う。
今思うと、当時のオタクはコミュ力高かったな。
持ってた…
信じられん
でも今はお前一体何者…ってくらいセンス良くて
絵も上手くてって人がゴロゴロいるから
買う側にとっては今のほうが良い時代だろね
誕生と同時にバブルが崩壊したから信じがたいよ…。
無駄な叩きがない時代っていいなぁ…。
サークル同士の罵りあいとかあったw(某弗様とか)
あと、サークルに凸したキティを晴海で見た
当時は海鮮だったけど、今とは比べられないくらい買い込んでいた。海鮮もバブルだったんだよな
終わり際に挨拶に行ったら札束詰まったビニール袋をいくつも抱えて
酷くテンパってらっしゃった姿を今でも思い出すw
そうか、あれがバブルだったんだなー
自分はピコだったしイベントにもなかなか出られなかったので
壁大手さんたちの動向は殆ど知らなかったから、
バブル時代の話が出ると読んで毎回びっくりするw
別世界すぎる……w
それこそネットの普及でどうしても同人誌でなくちゃ!みたいな勢いがなくなっちゃたというか。
送り手も受け手もPIXVとブログで満腹しちゃうって感じか。
ペン慣れしてなくても綺麗な絵になって羨ましいよ
同人誌もイベントも大好きだ
好き勝手にキャラ使って本出して作者に還元しないとか
訴えられかねないな
食らうだけ食らって逃げていく家庭に入る(笑)なんて
まるでイナゴだな
今の不景気じゃ想像すらできないが
※seesaaが重い時は反映されるまで時間がかかります。