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@801板
439 名前:風と木の名無しさん[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 20:45:39.01 ID:AQhgI8DHO
春。
「どうかな?今年は君がいるから頑張っておしゃれしたんだけど」
「興味ねぇな」
そう言ったきり、毛虫はその体を緩やかな陽光に当ててくつろいだ。
桜は少ししゅんとした様子で花びらを2、3散らしたが、すぐに思い直して
また賑やかに枝をばさばさと揺らした。
「君はそう言うけどさ、ほんとに今年は頑張ってるんだよ。
見てよ、この綺麗な桃色。……桃色って言っても、ぼくは桜だけどさ。あはは」
めいいっぱいの冗談を言ったつもりだったが、毛虫にはくすりとも来なかったらしい。
「……お前はほんとによく喋るやつだな」
毛虫はため息をついたあと、「あのな」と付け加えた。
「お前が桃色だろうが、どどめ色だろうが、心底どうでもいい。
それより、その派手な花をとっととひっこめて葉っぱを生やしてくれよ。」
「またそれだ」
桜は不服そうに枝を傾けた。
「君はそれしか言えないの?」
「そりゃ、花より葉の方がよっぽどましな味だもんよ。
早く腹いっぱい葉を食いてぇな」
「……そういうの、ハナヨリダンゴって言うんだよ?」
「知らねぇ」
そう言ったきり、毛虫はすっかり寝に入ってしまった。
毛虫がずり落ちないように慎重に枝で支えてやりながら、桜はひとり寝顔に呟いた。
「ねぇ、君が好きなのは本当に本当なんだよ。
……こんなに気持ちの浮かれる春は、初めてだもの。」
「……君が、ずっとこの枝にいてくれたらなぁ」
桜の花を揺らす春風に、毛虫の毛並みも少しそよいだ。
初夏。
「じゃあな。ま、世話になったよ」
桜の思いも虚しく、真っ白な蛾に成長したいつかの毛虫はあっけなく飛び立った。
「うん。うん。……いつでも、戻ってきていいからね」
そうは言ってみたものの、すっかり食べ飽きた桜の葉に、
毛虫がとうに興味を失っていたことは桜もよく知っていた。
「ね、いつでも……」
その後季節は移り変わったが、ついに桜がかつての毛虫を見ることはなかった。
442 名前:風と木の名無しさん[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 20:47:28.29 ID:AQhgI8DHO
秋。
一匹の真っ白な蛾がふらふらと桜の根本に行き着いた。
彼にはもはや新しく何かを口にするほどの体力もなく、
ただ細い息を僅かに漏らすのみである。
「おかえり」
白い蛾はそれに応えるように、かさついた羽を小さく持ち上げた。
「ごめんね、綺麗な花びらも、おいしい葉っぱも、もうないんだ」
蛾が見上げると、そこには
自分の羽のように乾ききり、色の変わった葉だけがあった。
ただ秋風が、ほんの少ししなだれた枝を揺らしていた。
「でもね」
桜は、慌てて言葉を繋げた。
「春には、春まで待ってもらえたら、ぼく、もっと頑張って、綺麗になるよ。
すごく綺麗な、そう、去年よりうんと綺麗な、綺麗な綺麗な桃色に……」
もはや、それは祈りの言葉だった。
俄かに強まった冷たい風に、枝がざわざわと揺れる。
「……興味ねぇな」
そう言ったのは、蛾の方だった。
もう羽ばたく力もない、弱りきった小さい蛾は、
糸切れのような脚で少し這うと、桜に寄り添うように横たわった。
「温かいから来ただけだ。春までここにいさせてくれ」
風がやみ、桜の枝が静かになった。
「うん。…………春まで。」
それを最後に、二人の間で言葉が交わされることはなくなった。
春。
この街には、どの樹よりも綺麗に花をつける桜がある。
「困っちゃうよ。君が毎年いてくれるから、どの年も気が抜けなくって」
答える者はない。
それでも、桜は楽しげに枝を揺らしている。
「今年もきれいだよ。すごく綺麗な桃色。……ぼく、桜だけどね」
緩やかな陽光が、街で一番綺麗な桜に優しく降り注いでいた。